
11月1日
25日ぶりに作業員が入れ替わる。久しぶりのメンツにちょっと戸惑う。しかし午前中は雨を警戒するのと、雨上がりで地盤が軟弱になっている状態を少しでも回復させるために作業を休止、午後から排水と調査区内の清掃を中心に実施した。
……寒い。
11月5日
朝から発注者の壱岐支庁へ月間報告に出向く。週末電話したときは忙しくてぴりぴりしてたのに今日は朝からいつもの感じ。話も早く切り上がって現場に戻る、途中で現場車のオイル交換をやったので現場へ戻ってきたのは10時半を回る。
久しぶりに実測の仕事を貰う。今日は機械の設置に別のやり方(後方交会)を実施するが、設定ミスして最初変な座標が出てきた(目標座標のX軸が5mずつずれてた)。すぐに訂正して作業を開始するも、今度は程なくバッテリーが上がってしまった……。これでは仕事にならない。とりあえず昼食時に充電して急場をしのぐ。だから予備のバッテリーって必要なのに。
11月6日
明日から天気が崩れるというので先日刈っておいた草を燃やしてもらうことにしたが、みんな張りきったもんだから往生した(火のついた枯れ草を寄せてる傍から風上の草に火をつけられて……)。もっとちゃんと集めてから少しずつやろうね。火遊びが面白いのは判るけど。
受注した実測は同僚に任せ(もうすぐ居なくなるんだから俺なしでもちゃんとやってもらわんと)、昨日同僚が描いた追加分の遺物をレベリングして取り上げる。
11月7日
予報に反し、15時過ぎまで晴れが続く。12時まで出来ればいいと思ってたので上等だと思ってたら、休憩明けから急に天気が変わり、西空が暗くなった。雷も鳴りはじめたため、16時で作業を切り上げて終了する。
その午後の休憩間際、第1調査区の溝内から免田式土器と思しき土器の胴部完形品(頸部は欠損している)が出土した。整形は丁寧だったがしかし赤彩の痕跡はない。でも現場で大騒ぎしたあと急に自信がなくなってきた……。
11月8日
結局1日中すっきりしない天気となる。
同僚がとりかかっていた第5調査区の遺物出土状況が終わり、各区で散見している重要遺物のポイント取り上げを実施する。と言っても、第6調査区で出土した不明鉄製品のほかは貝殻とか骨片くらいのものだが。ただ第4調査区から出た緑釉土器片は以前取り上げたやつの続きだろう。あと、取り上げてないけど古代の土師皿底部が1点出てる。
第4調査区って調査済の筈なんだけどねえ……。
本社から来てた同僚が帰るというので、以前作業員さんに薦められた焼鳥屋『阿波』へ行く。確かに安かったけど、牛バラちょっと冷たかったぞ……。でも豚足が200円というのはかなりの魅力。
要は使い分けだね。何事も。
11月9日
調査事務所が収穫祭を実施したので参加兼お手伝いに。そのイベントの一つ、土器づくり体験(陶芸用粘土で)と勾玉づくり(滑石を用いる)に参加させてもらう。いずれともにはじめての経験ながら面白かった。実際にやってみるとホント、弥生人(には限らないけど)の知恵と技術に脱帽する。おそらく土器は粉々になるんじゃないかなあ。だいぶ空気入ってるだろうし、つくってる途中でひび割れてたし。でも勾玉は(半ば見せびらかしに置いてたら)どこかの子供が欲しいと言ってたそうなので進呈した。振舞料理(豚汁・古代米の餅とおこわ・焼芋)では満腹になってちょっと苦しかった。
19時からはドクターハル講習会に参加する。今回は「吉野ヶ里遺跡と原の辻」という題名で、『プロジェクトX』に出演した七田忠昭氏の講演で、何か昔よりだいぶ変わったらしい。聞いててまた吉野ヶ里に行きたくなってしまった……。
ドクターハルということで夕食はいつもの『味福』へ。
交通費などの残日数を計算した結果、出勤は22日までだということを夜になってファックスする。
11月11日
朝こそ降ってなかったもののすぐに雲行きが怪しくなり、調査事務所側と相談の結果終日中止とする。書類整理のついでに宿舎の部屋を片づける。ものすごく部屋が広くなった……。
先日の件について所長から返信が来る。交通費は給与に含まれないこと、12月以降も継続していただけるものと信じます、とあった。
信じるべき要素を悉く反故にしといて何をぬけぬけと。
即座に、12月以降継続する意志はないと送り返す。
11月12日
黄砂がひどく、薄暗い朝になる。
午前中は途中で終わっていた第2調査区の流木を実測し、取り上げる。午後からは同僚が中判カメラで第2調査区の遺物(家屋建材――扉――と思しき部材)撮影を行なう。
何で使えるんだろうあんな難しいの。
11月13日
いきなり暖かくなった。明日崩れるかも。
11月14日
所長が新人を連れてくる。どうも交代要員だということは言っていない様子である。22日で辞めるということは再三くらい言ってるというのに。別に良いけど。
(実際、彼の中ではマジで替わりのつもりはないらしい。本心からそう思っているのかどうかは知らないが)
現場では第1調査区の遺物出土状況を実測する。ここでの最後の仕事ということで。
天気は持ちこたえた。
例のごとく夜から下の『聚楽』で食事会。さすがに今日は1杯だけ付き合う。出された郷土料理の「ひきとおし」はすこぶる美味だったが、おそらく最後の顔合わせだというのに当の所長は一切話に触れてこない。こちらがどういうつもりなのかということは知らないはずはないのにねえ。
そういうつもりなら、それでもいいわな。
11月15日
昨日描いた遺物を取り上げる……が2つほど描き忘れてるのがあった。最後の仕事だってのに……。しかしいよいよ完掘に向けて動き出した観がある。
しかも現場終了後、調査員氏から来週を目処に未着工箇所の表土剥ぎを打診される。いよいよ最終段階へ突入、かな?
11月18日
調査員氏に打診され、土建屋へ連絡する。表土剥ぎは明日から可能らしいが、今回は重機を使うらしく、終わったらしばらく機械を出したい、と言われる。今月1杯くらいというふうには言われたけど、年明けても別に困らない。今のところは。
第2調査区から鉄片数点と、土匙らしき土器が見つかる。鉄片は大きいのが、当初は鉄鏃かと思ったけど取り上げてみたら袋状鉄斧の刃先だった(あとは正体不明の鉄片)。土匙の方は、どうも火を受けた痕跡があるような感じがする。坩堝で溶かした鉄を受けるやつは何といったか忘れたけど、多分それなんじゃないか? もしそうなら調査事務所が待ち望んだ金属生産施設の気配ということになると思うんだけど、惜しむらくは溝が古墳初頭期ってことか。
11月19日
寒い朝、何げに見た第1調査区内で氷を見つけた……。ほんの少しだったけど。
表土剥ぎを開始する。これで全対象区の5/6までが開いたことになる。ただ思ったより土は浅いようで、一度はもう1区も開けるようなことを調査員氏が言っていた。
仕事中独特の鳴き声が聞こえたので見上げると、鶴の大群が上空を通過していた。結構高い。なかなか見事な編隊だった。
仕事は順調。今月末には第3調査区まで完掘出来るだろう。
11月20日
第1調査区でSD2の肩部分の検出を行なうが、作業員さんが掘り過ぎを恐れてなかなか進まなかったので、道具を借りて思いきり掘り込みを入れてやる。その結果砂が取れて綺麗に検出できた。典型的な環濠の掘り方になるが、全般的に階段状の形状をなすようになった。これでいよいよ完掘間近となる。いい感じ。
先週とった図面に追加実測する。正真正銘、今度こそこれが最後の仕事になるだろうな。
第9・10調査区の表土剥ぎが完了し、作業員を投入する(結局11調査区の表土剥ぎはなし)。その間に相方と新人が第6〜8調査区の1/20平面実測に入る(今日出来たのは第6調査区だけだが)。ここが終わるとあとは地山まで掘り進んで完了、と調査員氏が語る。来月前半までにはあらかた済んでしまうだろう。
作業員さんの一人からカマスを戴く。18匹。ワタ抜き・鰓抜き・鱗落しなど、全部下処理するのに1時間かかった。有難いけど大変だった……。
11月21日
午前中は小雨で中止、午後のみの作業となる。
排土中からガラス小玉片を拾う。第4〜6調査区辺りの排土だろう。
調査区内に唾を吐いてるやつがいた……。今度やったら解雇。と言いたいところだけどその場での叱責のみにしておいた。
同僚達は第7調査区の平面実測に入る。
11月22日
朝から調査員氏に今日で辞める(というか期限が来た)旨を伝える。案の定驚かれる。すでに辞める旨を明確に伝えてあったにも関わらずこのすっとぼけぶり、今更ながら所長のいい加減さぶりを痛感する。あるいは全部すっとぼけといて「あいつ、現場放棄しやがった。信じてたのに」というのだろうか。
現場でも予想通り蜂の巣をつついたような騒ぎになる。でも、「先生は色んなことをはっきりとおっしゃるからいなくなられるのはホントに残念」という声を耳にし、少しは役に立っていたのかなあ、なんて思いに駆られ、ますますそれが出来ないことへの無念が募ったりもする。
思いがけず、別の現場に入っておられた調査員氏(別れ際には前述の調査員氏から論文を戴く)飲み方に誘われる(石田町の居酒屋『ふうりん』)。仕事の話はあまり出来なかった(まあ、したくもなかったけど)ものの、所長のと違って実に楽しい酒が飲めた。
11月23日
昨夜少し飲みすぎて朝は辛かった。あと、作業員さんが一人尋ねてきて弁当代と言って包みをくれた。そんなに気を遣わなくても良いのに、と思いつつ拝領。
出発まで少し時間があったので、散歩がてら石田町産業祭りを覗く。ちょうど壱岐牛の試食会に出くわしたのでゲットして焼いて食う。めっちゃ旨い。
一通り周り、宿舎へ戻る。支度をし、会場のすぐ脇を通り抜けフェリー乗り場へ。よく晴れて波も穏やか、渡航には絶好の日向の中、一支国を後にする。
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